習慣

こんにちは。Alexです。

先月に引き続き、ちょっと珍しい経験について。自分の浅はかさを思い知り、より深いインパクトをもたらした「刑務所で採用活動」について、今日はご紹介しようと思います。

さて、きっとどこの国にも、受刑者の社会復帰をサポートする運動があると思います。シンガポールではイエローリボンと呼ばれるその活動に共感し、もうすぐ刑期が終わる人たちを対象とした就職イベントに参加しました。もちろん、面接会場は刑務所の中。

一般的に、仕事が見つかりにくい彼らに仕事を提供し、社会復帰の手助けとなれば、それは幸い。会社側には、労働力不足を補うことができ、給料も市場価格より安めで補充することができて、一石二鳥、というカラクリ。

・・・・ところが

思い描く理想の世界と現実は、こんなにも違う。
彼らと面接をしながら、違和感を覚える。なんだか、話が地に足がついていない感じがするのです。たとえば、「飲食業で、あなたが考える良い顧客サービスとは何ですか?」とざっくりした質問を投げかけても、「俺は、包丁を使うのが早かった」「俺は仕事をもらえるのか?」とか。
「労働時間はxx時間です」と説明すると、「忙しいほうが、道をはずさなくて済む」とか。なんとなく、ほしい方向にボールが返ってこない。

alex_25_001面接が終わるたびに、就職支援団体のスタッフが「どうですか?」と聞きにくる。ここでは、その場で採用の可否を決めなければならないルールだ。私は、その場で決められない候補者には、「否」と返事をした。(そうすれば、彼らはほかの会社の面接にも参加できる)

私は、何人もの面接を経て、違和感の理由を探っていた。そもそも私は、純粋に「誤った道を悔い改めて、新しい生活を望んでいる人たち」を想像していたのですが、何かがすごく違う。将来の自分の同僚として考えれば、一緒に働ける雰囲気の人が、この時にはいなかった。

この気持ち、なんだろう・・・・と額の中心にしわを寄せながら、履歴書を睨むように読んでみる。

すると、謎が解けた。彼らのほとんどは、常習で、受刑歴が10年選手なのだ。不思議なもので、薬物使用で捕まる人は、何回も薬物で捕まる。盗難の人は、盗難を繰り返す。幅広く、あらゆる罪を犯している・・・・・というわけではないらしい。

「盗難のケがある受刑者には、仕事で現金を見せなきゃいいんだよ」と中途半端なアドバイスをする就職支援団体のスタッフのコトバは、宙に浮いている。彼らも現実的ではない。このスタッフにとって、今回のイベントで仕事を見つけた受刑者の人数こそが成果であり、彼らの評価対象なのだろう。雇った会社がその後どうなるのか?等、その後続いていく未来について、現実味が薄い。

もはや刑務所にいることが常態となり、決まった時間に起きて、規則通りに生活することに慣れてしまった受刑者たち。罪を後悔する気持ちも、薄れていくのかもしれない。そんな暮らしを10年も続けていたら、外部の生‘活は、彼らにはむしろ酷なのかもしれない。会話をしても浦島太郎的に何かが曇っている。もうすぐ刑期が終わり自由になることが、あまり嬉しそうにも見えなかった。

私は、どういうわけか、阿部公房の『砂の女』を読んだ時の感覚がよみがえって仕方がなかった。25年も前に読んだ本だ。あらすじなど、ほとんど忘れてしまった。確か、「いつか脱出しようとあれほど強く思っていたのに、砂の家で暮らすうちに慣れて新しい関心ごとができ、外に出られるチャンスがやってきた時に、脱出したい気持ちはどうでも良くなり、その場に居続けることを選んだ」そんな話だったと思う。あの本を読み終えた時は、確か私は中学生だった。子供だったから、「え?なんでこの人、逃げないの?」とずっしりと重い気持ちになったことが、鮮明に思い出される。

結局、私はこの日、誰も採用することができなかった。

聞くところによると、受刑者の半分以上は、再犯で刑務所に戻ってくるのだと言う。・・・・・・なんて悲しい話なんだろう。
でも、何人かの人たちに会ってみると、「そうなるのかもしれない」と納得してしまった。

癖や習慣の重みを知る。

今回の就職プロジェクトに参加した理由は、「偏見を持ってはいけません。彼らにセカンドチャンスをあげましょう。刑期を終えて、新しい生活になる、彼らも新しい自分になる、だから社会の支援を」とという大義名分(そして、とても正しい)に共感した。

けれど、所詮は私も、頭の中で理解していただけにすぎない。それを実行するのは、そんなに簡単ではなかった。今の私と今回の求職者では、無理だった。

せめて、会ったのが初犯の人だったら、印象は違ったのかもしれない。ベテランを見てしまったせいか、「自分を変える」なんて、そんなに簡単にできるもんじゃないんだと、痛く、重く、苦しいほどに感じた1日なのでした。

アリストテレス様のお言葉によると、
人格は繰り返す行動の総計である。

今回は、ネガティブな視点から、癖や習慣を見ることとなったAlexですが、逆に言えば、良い習慣がある人たちにもまた、成功や幸運というポジティブな結果がついて回るわけで。きっと本人にとって「特に努力しているわけではない。なんとなく、そうしてしまう」という類のものなのかもしれません。アリストテレス様は、こう続けています。

それゆえに優秀さは単発的な行動にあらず、習慣である

う~ん。なるほど。そういうことですよね。
よくわかりました。ありがとうございます。私も頑張ってみます。少しでも優秀に近づけるように・・・。

それでは皆様、また来月お会いいたしましょう。

 

ブログ執筆者執筆者:Alex

旧『シンガポール日記』を執筆。仕事運だけは悪かったシンガポール生活も5年目。30代後半で「食」への関心が高い自分にようやく気づき、我に返ってシンガポール系の食産業に就職。5年目の本気(たぶん)。ピンとくる人を探し続け数年。今の社長に「あ、この人だ」と感じたことが、今までの職場と違うところ。ここで芽を出すつもりで邁進中。
これがなければ生きていけないもの:米、醤油、旦那、チリ(順不同)

 

シリーズ : No Rice No Life (ノーライス・ノーライフ) 記事一覧へ

 


カテゴリー: No Rice No Life (ノーライス・ノーライフ) パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です